茂吉と白秋 5
「外蒙古西吹きあげて東する沙漠の大き移動をぞ思ふ」
「霧らす黄沙の平ただならず日は朱に澱み蒙古犬吼ゆ」
「眼を放つ草原の枯れ涯もなし牛跳躍す落つる日の前」
「伝家屯(フーカトン)夕かげ暗し地に低き土の家群の煙あげつつ」
「赫爾洪得(ヘラハンテ)夕日の照りにうつら出て酪駝黙居り高き砂山」
茂吉が短歌の波長を無視し、表現の破綻をもかえりみず、強引に素材を掴みとるのに対し、白秋はあくまでも、表現の整斉をくずさず、しかも未知の素材を十分になこしきっています。
言いかえれば、白秋の波長はそれだけ広い領域をカバーし得たのです。
「沙漠の大き移動」というような事象と正面から取り組んで、何の破綻も示しません。
茂吉の場合、固有名詞やドイッ語をふんだんに一首の中へ取り入れていますが、一首の節調のうえではきしみを起こします。エグゼクティブトレードによると、白秋の場合、フーカトン、ヘラハンテは、そうしたきしみを感じさせません。
もちろんインド・ゲルマン語と、中国語、蒙古語とでは音韻の構成がちがうので一概に言えませんが、少なくとも白秋は外国の固有名詞を用いるにも、節調上の用意をしています。
この時の作ではないのですが、「口をつくハロン・アルシャンといふひびき新秋にして我れも癒えなむ」などは、蒙古語の語感を積極的に利用して効果をあげています。