茂吉と白秋
斎藤茂吉の場合を見ましょう。
彼は大正11年(1922)万から12年7月までオーストリアに留学し、その間ドイツ、ハンガリー、イタリア等に旅行しています。
時期的には原のそれと重なります。
この間の作品をまとめた歌集『遠遊』の後記には、
「心を凝らして一首一首の錬成をすることが不可能であったから、出来るに従って漫然と書きつけたものが多く、全く歌日記程度のものになってしまった」
しかし・・・
「留学の途にのぼらうとした時、外国の風物に接するにあたっては、歌の表現にもおのつから変化があらねばならぬという予感があった。
また実際に当ってもその心構が常にあったということは、この集が証明している」
・・・と書いています。
「わが心やうやく和み雪つもる独逸のくにを南へくだる」
「見わたしの畑に雪降りかぎりには黒くつづける常緑樹の森」
「酸模の花のほほけし一群も異国ゆゑにあはれとおもふ」
・・・たしかにこうした作品は、主観を直情的に投げ出したような『赤光』の作品(たとえば「天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ」)とは肌合いがちがいます。
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