近代の外地詠
明治になって、鎖国が解かれたとはいえ、自由に海外の旅ができるのは、限られた人々だけでした。
近代短歌史上に、そうした旅の作品が現われるのは、明治末期からでしょう。
日露戦争に従軍した森鵬外や、新聞記者正岡子規も作品を残していますが、ここでは、戦争関係の外地詠は省略します(もっとも鴎外にしても子規にしても、いわゆる戦争詠とは言えない内容のものが多いのですが)。
以下、実例について見ていきましょう。
「囚人のさびしく住めば この闊きシベリアの野に街もあらずけり」
「停車場のひそまれるまへに、女ひとり黒き頭巾を被りて立てり 聞き古りし旅順の港いま見るは鈍くただ光る黒干潟のみ」
「息づまる土のほてりに眼を据ゑて一輪車押し苦力きたれり」
「敗戦の苦しみなどは一言も言はぬババリアのこの娘たち」
「ミシガン湖わが眼のあたりありながら霧深くして遠は見分かず」
「若葉の香水をわたりく楊柳はあるかなきかに風にゆらげり」
「明の代のむかしとはまくたたずめど石人石馬もだしてありけり」
「春の日の異国の島の石ただみふみて今朝きく郭公のこゑ」
「ものふりしニュルンベルグの街角の壁にひかれる聖マリアの像」
引用は『全歌集』、『現代短歌全集』にしたがったものです。
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